たぬが小学2年生の頃の話
当時のたぬはとてもぼんやりとした子供で、よく忘れ物をしていた。
筆箱、ノート、教科書
教科書なんて、あらかた学校に置き去りなのに。である。
中でも宿題なんかは、ほとんどやっていった試しがない。
なぜなら、忘れる上に、思い出しても忘れたフリをしてやっていかないからである。
父親の影響からか学校や教師をバカにしていたキライがあり、宿題をやってかないのはある種のポリシーのように感じていたのである。
宿題をやっていかない子は自分以外でもいっぱいいる。
しかし大抵の子は、やってきた子にノートを写さしてもらって、事なきを得るのだ。
しかし、それでは学力などつくはずもない。
「そんな意味の無い事を何故やるのか」
たぬは正々堂々と、
と、授業の初めに宣言し、答え合わせの時間すら回避するのである。
なんと合理的なんだろう。
忘れましたと堂々と宣言出来さえすれば、
宿題をやる時間も、
答え合わせの時間も、
回避出来てしまうのである。
これに味を占めたたぬはことごとく宿題を忘れ続け、
思い出しても忘れたふりを続けたのである。
そんなある夜のことである。
両親は共働きでいつも忙しくしていたのであまりこどもに構うことはなかったのだが、その日は違った。
「あんた、宿題はやったの?」
「え〜、今日は宿題な〜い」
はじめての事である。
当時は気付いていなかったが、親は連絡帳で教師とやりとりしているのである。
子供の状況を知らない筈はないのだ。
忙しさと父親の学校嫌いのお陰でそれまでは好きにさせてもらっていただけで、
あまりの子供の酷い状況に郷を煮やしたのだ。
渋々ランドセルを持って母の元へ向かうたぬ。
母と共に畳に座りランドセルを開ける。
全てのノートを取り出し、細かくチェックを始める。
その中の一冊のノートの一部分に目が止まる。
板書が一部分開けてある。
そこに宿題をせんとばかりに。
実はたぬは覚えていた。
しかし、いつものように忘れたふりをしようと嘘をついていたのだ。
「これ何?」怒気を帯びた詰問。
「、、、宿題。」
その瞬間。
「ちょっとお父さん!この子またやったよ」
実はたぬ、同じようなことを2度3度やっており、今回も性懲りも無くやってしまったのだ。
「なんだと!こいつは!たわけが!かぁさん!縄もってこい!」
(な、縄?!)
あっという間にに父に取り押さえられ、母が持ってきた縄でたぬをグルグル巻に。
「毛布も持ってこい。死ぬといかん」
季節は秋頃だっただろうか。凍死するほど寒くはなかったように記憶しているが、
ちゃんとリスクを見ているあたりはさすが父である。
しかし、それを聞いたあたりから面白くなってしまったたぬは何となく冷静になり始めていた。
毛布と縄でぐるぐる巻きにされる間も親の面子を潰さない程度に、
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
と言いつつ、巻かれるのに身を委ね、あっという間に蓑虫が出来上がるや否や、
庭に放り出されたのである。
「ごめんなさ〜い!ごめんなさ〜い!」
この時点でもうすでに状況を楽しんでしまっていたたぬは、
(なんならこのまま朝まで過ごしてもいいかな?)
と思ってはいたのだが、
流石にそれでは親の面目丸潰れである。
ここは許しを乞う姿勢は崩すべきではないと思い、定期的に
「ごめんなさ〜い」と言うようにした。
庭からは隣の部屋が見える。
不穏な空気をいち早く察した兄はとっくに寝室に逃げ込んで、
寝たふりを決め込んだ暗い部屋で音を消したテレビを見ている。
ちゃっかりものの兄がやりそうな事である。
兄が見ていたテレビはたぬもちょうど見たかったテレビなので、悔しい気持ちはあったが、状況が状況である。如何ともしがたい。
黙りこくってしまえば、親が手を差し伸べるタイミングを失ってしまうであろう事を予測したたぬはやはり定期的に
「ごめんなさ〜い」
と声を発し続けていた。
どれくらい時間が経っただろうか。
声を発するのも億劫になりかけていた頃に
「たぬ!次からはちゃんと宿題をやっていくんだろうな!」
と父
「は〜い、やります〜。ごめんなさ〜い」
とたぬ。
流石にこの場面で「やりません」とは言えまい。
「ほんとだろうな!ちゃんと監視しとるでな!わかったか!」
「は〜い」
ようやく「す巻き」から解放されたたぬはひとしきり説教を受けた後、
宿題を終わらせて(覚えてないが多分やってる、、と思う)眠りにつくのであった。
余談ではあるが、その後宿題をしっかりやっていく真面目な子供に、、、は、ならなかったのは言うまでもない。
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